わからなくていい
クリスマスが近付き、街のディスプレイもクリスマス一色ですね。
古代の日本では、青色と緑色の区別がなかったと言われています。
時代とともに、「緑」は誰もが知る色の概念になりましたが、青りんご、青信号など青から派生した名残は今も残っています。
色に限らず、時代とともに科学も進み、「解明できること」「分類できること」が増えていきますね。
細分化され、より詳しく説明がなされるようになる中で、救いになることもあれば、自分に置き換えたときに、どの部分に位置付けられるのかわからない、というような不安を感じることもあるかもしれません。
「解明したい」「意味をつけたい」「正解を探したい」と思う気持ちは自然なことですが、納得のいく解釈を見つけたとしても、多くの場合また別の”わからなさ”がやってくるように思います。
まだ名前がついていないこと
原因がよくわかっていないこと
そもそもまだ誰も見つけていないこと
こういったことって意外とたくさんあるのかもしれません。そして言葉や分類の定義といいますか、解釈のようなものもきっと流動的で一定ではないのではないかなと思います。
考えても調べてもすっきりしないときは、わからなくてもいい とか、名前の付かないことがあってもいい と思えると、肩の力を抜いて生きられるかなと思っています。
わからなさと共存していくと言うと少し諦めのようなニュアンスを感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、わからないことがあって当然だなと思えると、原因がわからない事象や出来事に出遭ったときも、日常の風景と同じように(それだけが悪目立ちするわけではなくという意味で)見つめることができるのではないかと思っています。
無理に名前をつけて分類しないという手段も、カウンセリングの中では大切にしています。
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